サンプリングの発見ーーEverybody Loves the Sunshine
ヒップホップの楽しみ方というのは,それはもう千差万別で,クラブで踊って楽しんでいる人,怪しげな葉っぱを吸いながら楽しんでいる人,ラッパーとして楽しんでいる人,詩的なリリックを楽しむ人,トラックを作って楽しむ人までさまざまだ。どの楽しみ方も等しく尊い。
そうした数多の楽しみ方のひとつに,サンプリングを発見するというものがある。過去の曲(名曲からマニアックな曲まで)をサンプリングし,トラックを作るヒップホップならではの楽しみ方だといえる。曲を聴きながら「あ,これあの曲のサンプリングか」と気付くのは,この上ない体験だ。シンプルに嬉しいし,少しだけ元ネタに気付けた自分を誇るような気持ちにもなる。
そして,サンプリングされる曲というのにも人気曲がある。その代表格がJames Brownの楽曲たちであるが,彼と彼の曲の話は一旦置いておこう。
あえてFunky Drummerにしました(最近話題なので)。
そんなJBの曲と同じくらい頻繁にサンプリングされるのが,Roy AyersのEverbody Loves the Sunshineだ。
もしかしたらあまりヒップホップに関心のない人でも聞き覚えはあるかもしれいない。個人的には映画,Straight Outta ComptonでDr.Dreがこの曲を聴いていたのがとても印象的だった。
アメリカのヒップホップシーンでは数え切らないほどこの曲がサンプリングされているとのことだ。以下のサイトに詳しい。
サンプリングで甦るロイ・エアーズのグルーヴ~Everybody Loves The Sunshine|ミュージックソムリエ|TAP the POP
海外のシーンに自分が詳しくないことに加え,もうすでにいろいろなされてそうなので,ここでは自分が最近気付いた日本語ラップにおけるEverybody Loves the Sunshineのサンプリングを数曲紹介しておく(メモがてらに)。
BASI「灯台下暗し」
chekmico「Honeymoon feat. jinmenusagi」
OMSB「宜候」
C.O.S.A.「Wassup」
あの、すみません
自分は間違いなく見知らぬ人に話しかけられやすいタイプの人間なのだと思う。
そう思い始めたのは小学校のころ。
「あの、すみません」
振り向くと自転車にまたがった二人の外国人。学校から自宅への道すがら、週に一度くらいのペースで声をかけられることがあった。内容は宗教の勧誘だ。近くの教会で活動しているから今度来てくれよ、と話しかけられる。何度も何度も(その度に違う人物から)勧誘されたが結局一度も教会に行くことはなかった。
付近に住んでいる子どもあるあるなのかと思い、その話を学校の友人にしたこともあったが全然同意を調達できなかった。なぜか自分ばかり勧誘される。自分はそういうタイプの人間なのかもしれないと薄々思い始めた。
「あの、すみません」
中学生、高校生、大学生と年齢を重ねても色々な人(もちろん全員見知らぬ人)からこの言葉をかけられた。
宗教の勧誘はなくなり、そのかわり写真撮影や道案内のお願いが増えた。自分の住んでいた場所が沖縄であったことも大きな理由なのだろう。観光客からの声かけがもっとも多かった。その度に写真を撮ってあげたり、道を教えてあげたりしていた。
一番印象に残っているのは、海ぶどうのカップルである。そのあたりをふらふらと歩いていたら例のごとく「あの、すみません」と話しかけられた。振り向くとカンカン帽とアロハシャツを身につけた観光で来ました感100パーセントのカップル。話を聞いてみると、案の定そのカップルは観光客で、今から海ぶどうを食べに行きたいらしい。しかしどこに行けば海ぶどうが食べられるかわからないため、自分に声をかけてみたという。ただ自分が見る限り、彼氏は食べる気満々だが、彼女の方はそこまで積極的ではない様子だった。一応、海ぶどうが食べられそうな場所を教えてあげたが、彼女の方の気持ちも(勝手に)汲んで「地元の人はほとんど食べないっすよ」とちょいネガティブな情報も付け加えておいた。結局、彼・彼女は海ぶどうを食べたのだろうか。海ぶどうが原因で別れることなんかになってやしないだろうか。
こういうふうに観光客から話しかけられることが多かったのだが、明らかに地元出身の老人や子どもたちからも声をかけられることも割とあった。もちろんそのたびに、懇切丁寧な対応を心がけた。
「あの、すみません」
さすがに驚いたのは京都でこの言葉をかけられたことだ。一人で京都旅行をしているとき、地元の小学生7人組に声をかけられ「動物園ってどうやったらいけますか?」と聞かれた。全然自分の地元じゃないし、行きたい方面とは逆方向だったのだが、地図を見ながら一緒に京都動物園の前まで行ってあげた。やたらとキリンの話をしていたが見られただろうか。
「あの、すみません」
つい先程、久しぶりにこの言葉をかけられた。
ピークの時は月に一度くらいのペースで声をかけれらていたのだが、最近はめっきり減って、半年に一度くらいのペースになっていた。減った理由として考えられるのはスマホの普及だろう。スマホという超便利なツールが常に人々のポケットに入っていることによって、見知らぬ人に話しかけなくても道を調べることができるようになったし(Google Map)、自分たちで写真を撮る手法も広がった(いわゆるセルフィー)。
(自分で勝手に想定しているだけだが)そういう背景もあって、最近はめっきり声をかけられることも減っており、それでもなお話しかけてくるのは世間話がしたいおばあさんか、スマホを持っていないおじいさんだったのだが、今回は珍しく高校生だった。
「写真撮ってもらっていいですか?」
場所はイトーヨーカドーの前の広場。男女混合の高校生が40名ほど集まっている。
「なんの集まり?」
「クラスです!!」
どうやらクラス会の帰りらしい。なるほど確かにこの人数ではセルフィーをすることは難しいかもしれない。もちろん快諾し、クラスの集合写真を撮ってあげた。幾重にも重なった「ありがとうございます」がヨーカードーの前に響き渡る。自分が撮った写真はクラスのLINEグループや各自のインスタなどにアップされ、みんなの思い出として共有されるのだろう。いわゆる青春の1ページというやつだ。
自分が案内した場所や撮ってあげた写真が名前も知らない誰かにとっての思い出になっているのかもしれない。そう思うと名前も知らない人に話しかけられやすいという自分の特徴も悪くないような気がしてきた。
宗教の勧誘だけは勘弁だけど。
冷凍都市に住む妄想人類諸君に告ぐ
東京に住み始めて3年。いろんなことがあって毎日楽しいし,われわれは酔っぱらっていないのだが,あえて嫌な気持ちになってことを書いておこうと思う。
とある都内の学校の面接にて以下のような質問をされた。
面接官「本校の生徒たちのほとんどは東京出身です。履歴書を見る限り,〇〇(自分の名前)さんは沖縄出身のようですが,地方出身であることを活かした授業が求められた場合,どのような授業をしますか?」
また別のタイミング(授業中)では以下のようなやり取りがあった。
生徒「先生は米軍基地についてどう思ってるの?」
自分「いや~今は話したくないな」
生徒「いいじゃん話してよ」
なぜ地方出身であることを活かさねばならんのだ。
なぜ出身地のことを東京の子たちに対して切り売りせねばならんのだ。
地元のことを話したくない,というわけでは決してない。むしろ積極的に話すときの方が多いし,日常的なおしゃべりのなかではそういうことをあまり気にしない。(「この話題はパスで」と言える選択肢が保証されているから)。話すことが避けられない,という状況において話すことを強要される場面がとても嫌なのだ。
加えて重要なのは,そのような場面に東京出身の面接官や生徒らは遭遇しないということだ。彼/彼女らは東京出身であることを活かした授業を求められたり,米軍基地に対する意見の表明を求められたりするのだろうか。
こうした場面に遭遇するたびに「都会出身であるわれわれを楽しませろ」という言外のメッセージを受け取ってしまい,複雑な心境になってしまう。
要するにいつまでたっても「問われる側」なのだ。上京してからというもの,以前と異なり地元アイデンティティというものを意識することが増えたように思える。それはさまざまな場面において問われまくるという経験が一つの要因となっているのだろう。
そのことについてすごく悩んでいるわけでもないが,一応書き記しておこうと思う。これこそが冷凍都市のKU・RA・SHI。
マロニーとの適切な距離感
「マロニ~ちゃんっ」
テレビから中村玉緒さんの声が流れる。これが噂の。
自分の地元には鍋にマロニーを入れる風習がない。もちろんマロニーのコマーシャルも流れていない。そういった風習がないからCMをやっていないのか,それともCMが流れないから鍋に入れる文化が根付かなかったのかわからないが,とりあえず自分はマロニーと縁がない文化圏で生活をしていた。
一応,断っておくとまったく知らなかったわけではなく,その存在自体は耳にしたことがあった。関西出身の友人が教えてくれたのだ。鍋にマロニーというものを入れるのだと。その場で画像検索をして見せてくれた。見た目は半透明でスラッとしていて「まるで春雨みたいだ」と思った。そこまで違和感はなかったのだが,唯一気になった点はその友人が「マロニーちゃん」と呼んでいたことだ。
それから数年たち,自分は東京に引っ越した。マロニー文化圏への移住である。そこで冒頭のCMを人生で初めて目にしたのだ。CMが普通に流れていることはもちろん,スーパーに行くと普通に売っているマロニー。それを買い物かごに入れ,普通に鍋に投入する自分。マロニーと自分の距離は一気に縮まった。
だが悲しきかな。自分はマロニーと出会うのが遅すぎた。何せ始めて食べたのはハタチを越えてからだ。自分はマロニーに「ちゃん付け」をすること,すなわち「マロニーちゃん」と呼ぶことをためらってしまう。
もともとマロニー文化圏に住んでいた人たち(先の関西出身の友人も含む)は平然と「マロニーちゃん」と呼ぶ。
「あ,鍋にマロニーちゃん入れよう」
「マロニーちゃん買い忘れた」
「マロニーちゃん美味しいよね」。
当然だ。なぜなら彼・彼女らは幼いころからマロニーと慣れ親しんできたのだから。
例え話をひとつする。
友人Aに幼馴染Mを紹介してもらうとしよう。以前から,自分はAからMの話を聞かされていたので,その存在は知っていた。幼稚園の頃の話。小学校の頃の話。そして思春期を経て今の話。何度も聞かされた。友人Aが口を開くたびにするのは幼馴染Mの話ばかりだ。そんな噂のMと初めてあいまみえるのだ。
適当な喫茶店で友人Aと一緒にコーヒーを飲みながらMを待つ。しばらくしてMが入ってくる。第一印象は,透明感があり,スラっとした素敵な人だった。喫茶店でのおしゃべりは意外なほどに盛り上がり,この日をきっかけに3人でよく遊ぶようになった。相変わらず「Mちゃん」と呼ぶA。一方の自分は「Mさん」だ。時々ちゃん付けをしてみようと試みるが気恥ずかしくなってやめてしまう。自分とMはまだそこまでの仲ではないのだから。
これがせめて3人とも同時期に出会ったのなら自分も「Mちゃん」と呼んでいたのかもしれない。だが幼馴染同士の二人と後から知り合った自分の間にはなにか見えない壁のようなものが感じられ,その壁が見えないフリをして,Aと同じように「Mちゃん」と呼ぶのはなんだかとても不誠実なことのような気がして自分にはできなかった。
あるいはこの出会いが10代のころだったらまた違ったのかもしれない。若さゆえの無神経さで,幼馴染同士と自分という壁も見ず,「Mちゃん」と呼ぶ自分がありありと想像できた。
いくつもの「かもしれない」は,今の自分を照らし出す。過ぎ去った時間を巻き戻すことはできない。一度茹でてしまったマロニーはもう二度と真っすぐにはならないのだ。
言えない正式名称と大人の対応
ある日の休み時間、とある生徒さんからクイズを出題された。
生徒「先生!これなんていうか知ってる?」
手元には図書館から借りてきたらしき本。開かれたページにはアレのイラスト。
アレとはコレのことである。
コレだ。
よく弁当に入っている醤油が詰められたソレだ。この魚型の容器の正式名称を自分は問われている。
しかしながら実は自分はこうした知っているようで知らない正式名称シリーズが大好きで、僭越ながら得意分野でもある。
例えばコレ。
はい、「ランドルト環」ですね。
続いてはコレ。
まぁ、「ディスペンパック」ですよね。
こんな具合で、自分は「知っているようで知らない正式名称」シリーズを割と押さえている方なのだ。
そんな自分に対して中学生は知ってか知らずか(知らないだろうけど)正面から勝負を挑んできたのだ。なんと愚かな。愚問とはまさにこの瞬間を指すためにある言葉なのだろう。
しかもよりによって「醤油が詰められた魚型のソレ」を出題するとは。「醤油が詰められた魚型のソレ」は「知っているようで知らない正式名称シリーズ」のなかでは「クロージャー(※1)」なみにメジャーな問題だ。ちなみに一番メジャーな問題は「バラン(※2)」である。
※1 食パンの袋を閉じるコの字型のアレ
※2 弁当によく入っている緑色の草みたいなヤツ
はいはい。「醤油が詰められた魚型のソレ」ね。えーっと。......アレ?ちょっと待てよ。全然出てこない......確かカタカナで......
全然思い出せないのである。
ちょっと待ってよ。よく弁当に入ってるやつだよね。えーっと......
全然思い出せないのである。
えーっと......
全然思い出せないのである。完全に敗北だ。唇を血が出るほど噛みしめながらしぶしぶ答えを訊ねる。
生徒「正解はランチャームでした〜」
とても悔しい。非常に悔しい。極めて悔しい。確実に耳にしたことはあった。しかし思い出せなかった。
したり顔の生徒さんに対して自分はまさかの行動を取ってしまう。
自分「じゃあカーテンをまとめる布の正式名称知ってる?」
生徒「知らない」
自分「タッセルでした〜。じゃあ時計の秒針が止まって見える現象の正式名称は?」
生徒「......知らない」
自分「クロノスタシスでした〜」
矢継ぎ早に出題する自分。答えられない生徒。そしてその生徒さんは本を抱えどこかへ行ってしまった。
あまりにも大人気なさすぎる。自分の負けを認めたくないばかりに中学生に対して知識を誇示するような問題を出しまくる。
大人気ない。大人気なさすぎる。
自分を大きく見せたいがために大人気ない対応をしてしまうことの正式名称ってあるんすかね。
厄年でもトランプ
自分は慣習や行事といったものに疎く,まったくもって無頓着である。正月もいつも通りの心境で過ごすし,もちろん初詣なんかにはいかない。この時期だしアレを食べよう(例えば秋だからサンマ)といった気持ちにも全然ならず,フォーシーズン同じようなものを食べ続けている。牛丼とか。
季節の行事,国民全員に共有されたそれだけに限らず,もっと小さな、例えば個人個人の誕生日や記念日なんかにも気を払わない。正直,人の誕生日が覚えられないし,誕生日を祝ってどうすんだとすら思ってしまう。まれにいる他人の誕生日をやたら覚えている人に対してはおののいてしまう。語呂合わせとかで記憶するのだろうか。「いつも同じ服の鈴木さん!」といったふうに。ちなみに鈴木さんの誕生日は12月07日である。「い(1)つ(2)も同(07)じ服の」鈴木さんである。誰だろう鈴木さんって。
要するに,自分のカレンダーは平たんでのっぺりしているのだ。
そのカレンダーには色の付いたペンでの書き込みなどは一切ない。同じような365日,うるう年には366日が並んでいる。一年が終わり,新しくなったカレンダーもこの調子だ。
だから当然の如く厄年なんてものは気にしたことがない。
ラウントリーという貧困の研究で有名な人がいる。彼はイギリスの貧困層を調査するなかである発見をした。人が生まれてから死ぬまでのなかで貧困になりやすい時期(ライフステージ)というものがあるといったものだ。彼によれば,自身が子どもの時期,子を産み育てる時期,そして老後といった3つの時期に労働者階級は貧困状態に陥りやすいという。もちろんこの知見は彼の手による社会調査によって裏付けられている(現代の日本において妥当するかどうかはさておき)。
ラウントリーの知見から考えてみても,人生のなかでしんどい年齢や時期というのは一定の規則性がありうるのだろう。だから「厄年」というのも実はただの迷信めいたものではなく,その規則性を表現したもの……なわけがない。ラウントリーは調査をしているし,なによりイギリスの労働者階級といった留保がある。「厄年」には何の根拠もないし,日本国民全員に当てはまるというのはあまりにも強すぎる主張だ。厄払いなんてものも所詮気休めだろう。
と厄年に対して一定の距離感を置いてみたが,よく考えてみるとそもそも厄年というのは何歳のこと指すのかということをまったく知らない。今自分は厄年なのかそうでないのか。このままでは人びとの厄年トークについていけないなと思い,厄年について調べてみた。
↑参考にしたサイト
まず驚いたのは,厄年とされる年齢は性別によって異なるらしい。そして厄年というのは3回(女性は4回)訪れるらしい。まさかのここでラウントリーの知見との一致を見せた。すごいぞ厄年。
男性の場合 25,42,61歳
女性の場合 19,33,37,61歳
が厄年にあたるらしい。ただ,これらの年齢(本厄)の前後一年も前厄と後厄にあたり,あまりよくないとされている。例えば男性の場合,25歳(本厄)だけでなく,24歳(前厄),26歳(後厄)も一応厄年に含まれる。
個人的にとても気になったのは女性の厄年である。19歳と61歳はさておき,33歳と37歳って。近すぎる。あまりにも近すぎるのだ。
つまり,「32歳(前厄),33歳(本厄),34歳(後厄)」で厄が空けたと思いきや,すぐさま「36歳(前厄),37歳(本厄),38歳(後厄)」がやってくるのだ。あまりにも早すぎる。そんな一旦帰ったけど忘れ物したから取りに来ましたみたいなスピード感で戻ってこられても困る。
もはや32歳~38歳までの間はほぼほぼ厄年なのだ。なんという仕打ち。厄年の設定はあまりにも酷すぎる。
だが,そんな辛すぎる時期のなかで煌々と輝くのが35歳である。厄年が続く時期のなかで,ただ厄年でないというだけなのに,輝きに溢れた一年のように思える。
例えるなら受験を終えた高校3年生の3月だ。辛い受験勉強から解放され,忙しい大学生活にもまだ足を踏み入れていない,ただただ無目的に過ごすことが許された唯一の時期。何事にも追われていない時期。この時期に友人と空いた教室でやるトランプが人生で一番楽しいとも言われている。
なんと素晴らしいことか。厄年が続くからこそ35歳は輝く。
けど,本当は厄年なんていらないのだ。相対的な輝きなんてものはいらない。常に無目的に,何事も追われず,教室でトランプをしていたい。辛い時期があるからこそ輝いてみえるといった言葉もいらない。ただただトランプをしていたいのだ。
ロックと「っぽさ」ーー四つ打ちと邦ロック
ここ一年はヒップホップばかり聴いていた。このままヒップホップシーンに浸り続けるのも悪くはないのだが,たまにはロックをということで今日はYoutubeでいろいろと聴き漁っていた。
高校の頃によく聴いていたBlurやFranz Ferdinandを出発点に,いろいろと海外の(特にイギリスの)ロックに手を出していくなかで好きだなと思えるバンドに出会った。
まだ20代前半という若さがほとばしるバンド,Rat Boyである。どうやら去年のサマソニで初来日を果たしたようで,まさに「今から来る!」感のあるバンドである。音楽性としては,ヒップホップやシューゲイザーなどいろいろな要素を取り込みつつ,ガーレジロックの土臭さも残すというまさに「ミクスチャー」なものである。ただ,90年代に流行ったミクスチャーバンド(例えばレッチリ,レイジ,リンプ)と異なる点が二つ。
まずはラップが(ロックバンドにしては)うまいということ。インタビューで好きなアーティストとして,Chance the RapperやKendrick Lamarを挙げているだけあって,今風のこなれたラップをしている。MVには頻繁にスケボーをしているシーンが映り込み,ヒップホップカルチャーへのコミットがうかがえる。
そして,先に挙げたいくつかのミクスチャーバンドとは違い,イギリスのバンドであるということ。ヒップホップを取り入れ,かなりアメリカ感が前面に出てきているのにも関わらず,やはりどこかイギリスっぽいのだ。この「っぽさ」はどこに由来するのだろうかと思い,何度もMVを見てみたがこれが難しい。おそらく歌い方(発音)やギターの音,加えてファッションが「っぽさ」を引き立てているような……というところで考えるのをやめた。
この「っぽさ」はどこから来るのか,という問いを頭の片隅に残したまま,つぎは日本のロックを聴き漁ってみた。すると日本のロックにもイギリスのバンドとはまた異なった「っぽさ」があるな,ということに気付いた。特に最近のバンドの音に耳を傾けるなかある特定の傾向性に気付いた。それは,四つ打ちのドラムである。
一応,補足しておくと「四つ打ち」とは,ドッツターッツドッツターッツというリズムのことだ。※イメージが湧かない方は以下参照
★ドラムレッスン★4つ打ち!ウラ打ち!ダンスビート! - YouTube
これらのバンドのなかでは夜の本気ダンスが一番わかりやすいかもしれない。「本気ダンス」というフレーズの通り,四つ打ちのビートは何といっても踊れる(ノれる)のだ。 横というよりも縦に動きたくなるあたりがロックとの相性がいいのかもしれない。
この四つ打ちのドラムを聞くと「あぁ,日本の(特に最近の)バンドっぽいなぁ」と感じてしまう。ドラムのフレーズに「っぽさ」を成り立たせる要素があったのだ。もちろんそれだけではないだろうし,他の「っぽさ」の構成要素があれば知りたい。
念のためいっておくが四つ打ちのリズムの多用という現象は,最近のバンドだけに限ったことではない。彼・彼女らの一つから二つ上の世代の邦ロックバンドも四つ打ちの曲を作っている。以下,上述したような最近のバンドを「10年代のバンド」,彼・彼女らより一回り先輩のバンドを「00年代のバンド」と便宜的に表記させてもらう。
※「00年代のバンド」といったからといって今は活動していないとは限らない。あくまでもヒット曲の輩出や目立った活動が2000年代であったということを強調するためのあくまでも便宜的な表記である。
「00年代のバンド」といえばやはりその代表格はASIAN KUNG-FU GENERATIOINであろう。今でも頻繁にコピーされたり,カラオケで歌われたりするバンドだ。最近『ソルファ』の再録版が発売されたが,再録版を出してもじゅうぶんに売れる程度にはレジェンドだろう。そんなアジカンによる四つ打ちの名曲と言えば間違いなく「君という花」だ。
謎のピエロの踊りがトラウマになった人も少なくないとかなんとか。あと個人的に,カラオケでこの曲を歌った際にライブVer.の「らっせーらっせー」の掛け声をやってくれるタイプの人とは仲良くなれるというジンクスがある。
※Sound Scheduleによる同名の曲もあるのだが,こちらも好きだという人になかなか出会えないのが残念だ。Sound Schedule 【PV】 君という花 - YouTube
そんな00年代以降の邦ロック界の規準ともいえるアジカンと同程度には世間に認知されていたバンドといえばチャットモンチーだ。彼女らによるヒットソング「シャングリラ」は変拍子の四つ打ちというなかなか珍しいタイプの曲だ。
アジカンもチャットモンチーも四つ打ちでヒットソングを飛ばしているわけだが,「10年代のバンド」のように多用しているわけではない。少なくともアジカン,チャットモンチーといえば四つ打ちというイメージはない。そんな彼・彼女らとは異なり,四つ打ちを多用していた「00年代のバンド」がいる。それがBase Ball Bearだ。
90年代のレジェンド,Number Girlのサウンドや世界観を引き継ぎながらも,あくまでもポップに落とし込むことに成功した彼・彼女ら(特にギターボーカルの小出)のセンスは恐るべきものだと思う。そんなベボベの特徴といばナンバガよりも都会的な青春の香り,女の子が出てくるMV,そして四つ打ちのドラムだ。「00年代のバンド」のなかでここまで四つ打ちのドラムを多用したのは彼・彼女らくらいなのではないだろうか。
Base Ball Bear - ELECTRIC SUMMER - YouTube
Base Ball Bear - 祭りのあと - YouTube
Base Ball Bear - 17才 - YouTube
彼・彼女らの四つ打ちの曲を挙げようと思えばいくらでも可能だ。最近のベボベの曲はそうでもないのだが,00年代の頃は本当に多用している。
「10年代のバンド」たちはアジカンやチャットモンチー,そしてベボベなどを聴きながら育ったのであろう。現在の四つ打ちブームとでも言えるような「10年代のバンド」による邦ロックシーンは何もないゼロの状態から突然出現したわけではなく,「00年代のバンド」たちによって耕された畑のなかで育ってきたものなのではないだろうか。
では「00年代のバンド」は「90年代のバンド」による影響のなかで四つ打ちを取り入れ始めたのだろうか。そのあたりはわからない。ただ,ギターの音や歌詞があれほどNumber Girlの影響を感じさせるBase Ball Bearであるが,ドラムのフレーズにはその影響がまったく感じられない。狂ったように叩きまくるイナザワアヒト(ナンバガ)と四つ打ちを多用する堀之内(ベボベ)ではまったくと言っていいほどドラムのタイプが異なる。では,Base Ball Bearを含む「00年代のバンド」はどこから四つ打ちという技法を手に入れたのだろうか。「90年代のバンド」にそのルーツが求められるのだろうか。この問いは今後の課題とさせていただく。