何かにまつわるエトセトラ

確かめにいこう

あの、すみません

自分は間違いなく見知らぬ人に話しかけられやすいタイプの人間なのだと思う。

 

そう思い始めたのは小学校のころ。

 

「あの、すみません」

 

振り向くと自転車にまたがった二人の外国人。学校から自宅への道すがら、週に一度くらいのペースで声をかけられることがあった。内容は宗教の勧誘だ。近くの教会で活動しているから今度来てくれよ、と話しかけられる。何度も何度も(その度に違う人物から)勧誘されたが結局一度も教会に行くことはなかった。

 

付近に住んでいる子どもあるあるなのかと思い、その話を学校の友人にしたこともあったが全然同意を調達できなかった。なぜか自分ばかり勧誘される。自分はそういうタイプの人間なのかもしれないと薄々思い始めた。

 

「あの、すみません」

 

中学生、高校生、大学生と年齢を重ねても色々な人(もちろん全員見知らぬ人)からこの言葉をかけられた。

 

宗教の勧誘はなくなり、そのかわり写真撮影や道案内のお願いが増えた。自分の住んでいた場所が沖縄であったことも大きな理由なのだろう。観光客からの声かけがもっとも多かった。その度に写真を撮ってあげたり、道を教えてあげたりしていた。

 

一番印象に残っているのは、海ぶどうのカップルである。そのあたりをふらふらと歩いていたら例のごとく「あの、すみません」と話しかけられた。振り向くとカンカン帽とアロハシャツを身につけた観光で来ました感100パーセントのカップル。話を聞いてみると、案の定そのカップルは観光客で、今から海ぶどうを食べに行きたいらしい。しかしどこに行けば海ぶどうが食べられるかわからないため、自分に声をかけてみたという。ただ自分が見る限り、彼氏は食べる気満々だが、彼女の方はそこまで積極的ではない様子だった。一応、海ぶどうが食べられそうな場所を教えてあげたが、彼女の方の気持ちも(勝手に)汲んで「地元の人はほとんど食べないっすよ」とちょいネガティブな情報も付け加えておいた。結局、彼・彼女は海ぶどうを食べたのだろうか。海ぶどうが原因で別れることなんかになってやしないだろうか。

 

こういうふうに観光客から話しかけられることが多かったのだが、明らかに地元出身の老人や子どもたちからも声をかけられることも割とあった。もちろんそのたびに、懇切丁寧な対応を心がけた。

 

「あの、すみません」

 

さすがに驚いたのは京都でこの言葉をかけられたことだ。一人で京都旅行をしているとき、地元の小学生7人組に声をかけられ「動物園ってどうやったらいけますか?」と聞かれた。全然自分の地元じゃないし、行きたい方面とは逆方向だったのだが、地図を見ながら一緒に京都動物園の前まで行ってあげた。やたらとキリンの話をしていたが見られただろうか。

 

「あの、すみません」

 

つい先程、久しぶりにこの言葉をかけられた。

 

ピークの時は月に一度くらいのペースで声をかけれらていたのだが、最近はめっきり減って、半年に一度くらいのペースになっていた。減った理由として考えられるのはスマホの普及だろう。スマホという超便利なツールが常に人々のポケットに入っていることによって、見知らぬ人に話しかけなくても道を調べることができるようになったし(Google Map)、自分たちで写真を撮る手法も広がった(いわゆるセルフィー)。

 

(自分で勝手に想定しているだけだが)そういう背景もあって、最近はめっきり声をかけられることも減っており、それでもなお話しかけてくるのは世間話がしたいおばあさんか、スマホを持っていないおじいさんだったのだが、今回は珍しく高校生だった。

 

「写真撮ってもらっていいですか?」

 

場所はイトーヨーカドーの前の広場。男女混合の高校生が40名ほど集まっている。

 

「なんの集まり?」

「クラスです!!」

 

どうやらクラス会の帰りらしい。なるほど確かにこの人数ではセルフィーをすることは難しいかもしれない。もちろん快諾し、クラスの集合写真を撮ってあげた。幾重にも重なった「ありがとうございます」がヨーカードーの前に響き渡る。自分が撮った写真はクラスのLINEグループや各自のインスタなどにアップされ、みんなの思い出として共有されるのだろう。いわゆる青春の1ページというやつだ。

 

自分が案内した場所や撮ってあげた写真が名前も知らない誰かにとっての思い出になっているのかもしれない。そう思うと名前も知らない人に話しかけられやすいという自分の特徴も悪くないような気がしてきた。

 

宗教の勧誘だけは勘弁だけど。