東京と雨(とロックとハニー)
東京では雨が続いている。なんと15日連続だそうだ。
ありえない。本当にありえない。
ちょうど人と会う予定がない期間と重なったこともあり,とても憂鬱だ。
こんなふうに雨が続いたときに思い出すのはこの曲だ。
7日間雨が止まず僕はクラッシュを聴いたり君を想ったりして静かに部屋の中で過ごしてた
この曲をよく聴いていたのは高校の頃で,そのとき自分はまだ地元で暮らしていた。地元がどことはいわないけど,雨が何日間も続くことはないところだった。だから上京して本当にこの歌のように何日間も雨が降り続けることに対して驚いたりもした。
しかし,この曲でもさすがに「7日間」である。現在15日目。さすがに部屋で「クラッシュを聴いたり君を思ったりすること」も飽きてしまう。洗濯物も山のようだし,部屋全体がカビてきているような気すらしてきて気分はかなり暗澹としてきた。
早く晴れてほしい。
余談だけど,自分がドクターマーチンの存在を知ったのもこの曲だった。「久しぶりに晴れたから君にドクターマーチンを届けに行こう」という内容で,随分と太っ腹だなと思ったことをよく覚えている。スパルタローカルズいいよね。
追記
今年はいわゆる冷夏なのだろうか。だとすれば秋ごろに「なんだか時が進むのが早い」と思ったりするのかもしれない。
ロードバイク買った
タイトルの通りである。ロードバイクを買った。
正確には知人から格安で譲ってもらった,だが。
メーカーはかの有名なビアンキ。ビアンキを格安で売ってくれる!?買うわ!!と勢いで買った感は否めないのだが,とても気に入っている。実をいうとそこまでグレードの高いものではないのだが(コンポーネントはSORA),そこはあまり気にしていない。
かつてのママチャリ生活から,ロードバイク生活へ移行したことによって,変わった点が2つ。
まずひとつ。通勤通学がとても楽になった。これは間違いない。軽くペダルを漕ぐだけで,20キロは出る。楽に,かつ速くなった。通勤時間は従来の3割減だ。
ふたつめ。知人から羨ましがられるようになった。特に中学生から「自転車かっこいい!」と言われるようになり,ホクホクである。自尊心は3割増である。
そんなロードバイクにも問題点が1つ。フロントギアが変わらないのだ。
いくらシフトレバーを押してもうんともすんともいわない。幸いアウター(重い方)からインナー(軽い方)に変わらないという状態なので,普段使いには困らないが,きつめの坂道を登るときにちょっとだけつらい。
困ったときの専門家だ!と思い自転車屋さんに見てもらった。
自分「フロントギアが変わらないんですよ~」
店員「ちょっと試してみますね」(カチッカチッ)(ガチャ)
店員「少々重いですが変わりますよ」
自分「あれ?ホントですね。ありがとうございました。」
ん?さっきまで全然動かなかったのにどうしたんだ。と思いながら自転車にまたがり,帰りの道すがらフロントギアのシフトレバーを押してみる。
やっぱり動かない……
もう一度自転車屋さんにうかがう。
自分「すみません。やっぱり動かないんですが……」
店員「じゃあちょっと乗ってみていいですか?」
自転車にまたがり,道を軽く走る店員さん。
店員「変わりましたよ」
自分「あれれ。ちょっとやってみていいですか?」(カチカチ)(ガチャ)
自分「変わった……どうもすみませんありがとうございました」
しかし!その後,シフトレバーを押してもフロントギアは全然変わらない。
これはどういう状況なんだ。店員さんが乗るとうまくいくが,自分が乗ると全然できない……そんな謎な状況だ。
何度試してもフロントギアは変わらない。
そこだけが唯一の難点だ。
親しい人の差別発言
久しぶりに面食らった。身近な人の差別発言を目にしてしまった。
【登場人物】
自分(男性),Aさん(女性),Bさん(男性),Cさん(男性)
ちなみに全員顔見知りで,ある程度親しさはある。
きっかけはAさんの何気ない発言だった。
Aさん「Bさん(男性)のiPhoneピンクなんですね笑」
自分「……」
Cさん「Bさんはゲイなの?笑」
自分「……」
Bさん「違うし笑,ってか俺セクシャル・マイノリティじゃねぇから!それ差別になるよ?笑」
Cさん「いやいやそういうつもりでいったわけじゃねーから笑笑」
自分「……」
お気づきかもしれないが,自分は終始無言「……」なのである。かつ真顔である。A,B,Cさんたちは雑談のなかの面白い一幕といった感じで笑いあっていたのだが,そのなかで自分だけは唯一,沈黙&真顔なのである。
異議申し立てはいくらでも思いついた。例えば,
「男性がピンク使っていることはおかしいことなのか!ピンクは女性のものってか!性と好みの色は関係ないだろ!!」
「なんでそこでゲイ,って話が出てくるんだよ!ゲイ=女性的ってか?ゲイは性指向を表す言葉だし,好みの色と性指向も無関係に決まってんだろ!」
「ってかもしBさんがゲイだったらどうすんだよ(本人は否定していたけど)!アウティングだぞそれ!」
「『そういつつもりじゃなかった笑』って酷すぎるだろ!意図していなかった=差別ではない……そんなわけあるかーーい!!」
とか。しかし自分は無言&真顔「……」なのである。あまりにも唐突すぎた。しかもある程度信頼を置いている親しい人だからこそショックが大きかった。
これがもし嫌いな人やあまりよく知らない人の発言だったら自分のショック度も異なっていただろう。実際に,ツイッターにおける知らない人の差別多めなツイートだとさほどショックは受けない。
その場で和やかな「空気」を壊してでも異議申し立てをできなかった自分を悔いている。
最近観た映画の話ーーイギリスの下層社会
自分の映画の趣味は圧倒的に邦画に偏っていて,洋画はほとんど見ない(タランティーノは例外)。しかし,どんな風の吹き回しか二本の洋画を立て続けに観る機会があった。
ひとつめは,絶賛公開中の『わたしは,ダニエル・ブレイク』である。舞台は現代のイギリス。実直に生きるダニエル・ブレイク(主人公)は,心臓の病を患っており,その病が原因で労働ができない状態にある。そうした状態にある人々を救済するのが「福祉」の役割のひとつであるが,役所の煩雑な手続きと制度に阻まれ,ダニエルは給付金を受給することができず,「階段から転げ落ちるように(by 湯浅誠)」窮地に追い込まれていく。善良に生きる(そして生きたい)ダニエルの生を否定するかのように立ちはだかる制度(とそれを体現する役人)に対してとても腹が立つし,なによりやるせない気持ちになる。サッチャリズム以降の福祉の削減というイギリス社会の趨勢に対する問題提起となっており,極めて「社会派」の映画となっている。もちろん現代の日本の社会も多かれ少なかれ,この映画で描かれているような状態にあるということは忘れてはならないだろう。
制度を執行する側からすれば,主人公のダニエルは福祉を利用する国民Aに過ぎないかもしれない。しかしダニエルの生は,国民Aとして書類上で処理されるような事柄に尽きるものではなく,そこにはどの生とも異なる「ダニエル・ブレイク」の生がある。そうした「尽きなく生きる(by 見田宗介)」ことへの表明をダニエルが行うシーンが個人的にはとても熱い気持ちにさせられた。
二本目は,1996年に制作された映画『トレインスポッティング』であり,こちらもイギリスが舞台となっている。登場人物のほとんどがジャンキーというなかなかにハードな映画で,ロンドンで暮らす若者たちの生活が,ポップな音楽とともに描かれる。「まっとうな生活」と「ヤク漬けの生活」を往復する主人公は最終的にどのような道を選ぶのか,といったことが映画の見どころとなっている。あまり長い映画ではないので,登場人物(主に五人の若者)のキャラクターがそれほど詳細に描かれていないことに対して,少し物足りなさを感じたが,それを差し引いてもイギリスのカルチャーの雰囲気の末端が味わえる良い映画だった。
なんと今月に続編である『T2 トレインスポッティング』が公開されるそうなので,とても楽しみである。彼らの「その後」はどのようになっているのだろうか。
さて,これら2つの映画に共通するのは,「イギリスの(特に下層の)社会を描いている」という点である。どうやら自分はそうした映画が好みらしい。そこに気付かされた。そういえば『This is England』を観たいと前々から思っていたことも思い出されたし,『時計じかけのオレンジ』にドハマりしたことも思い出した。イギリスの社会史を勉強しつつ,これからもイギリスを舞台にした映画を観ていこうと心に決めた。
映画で学べるイギリスみたいな本ないかな。
カンケン、染めちゃいました
リュックの魅力に取り憑かれて早4年。きっかけは「カンケンバッグ」(以下カンケン)を使いはじめたことだった。カンケンはサイズ・デザイン・チャックの位置・値段などが絶妙に良い感じで、そんなカンケンに4年間も甘えてしまった。その結果、自分のカンケンは色あせ、見るも無残な姿になってしまった。
ヴィンテージ感、いや、使い古している感が満載である。全体的に色あせ、縁の部分は白っぽくなっている。そろそろ潮時か。いやしかし捨てるのはもったいない。
そうだ。染めてしまおう。
すぐさま東急ハンズへ。そこで染料を購入。今回使った染料はこれ。
ダイロンプレミアムダイ(ネイビーブルー)
値段は700円前後
さっそく使ってみましょう。
使い方は簡単。
①温かいお湯に「ダイロンプレミアムダイ(染料)」と「食塩」を入れて溶かす
②できあがった液体に染めたいものを漬け込む
③ムラができないよう時々かきまぜる
④染料を洗い流す
以上!
(大雑把に書いています。詳しくはプレミアムダイ 使い方を参照してください)
作業中の様子がこちら
この状態で半日漬け込みました(取扱書には1時間程度とありましたが)。
さて,あの色褪せたカンケンはどうなったのでしょう。
左(ビフォー):右(アフター)
劇的に変わった!というほどではありませんが,全体的に色が濃くなりました。
チャックが染める前の全体部分と同じ色なので,比べてみるとネイビーに染まっていることがわかりやすいかもしれません。
満足度は65点。やや成功といったところです。
思ったより染まらなかった理由は,カバンの素材です。
(ダイロンプレミアムダイ公式サイトより)
カンケンはビニロンフィラメントという化学繊維を使っているらしく,どちらかと言えば,「染まらない繊維」の方に近かったようです。
それでもカンケンを染めたい!という方は,以下の「今回の反省点」を参考に試行錯誤してみてください。
①もっと温かいお湯でやればよかった!
→温かい方が染まるらしい
②ダイロンプレミアムダイ1袋では足りなかったかもしれない!
→やはりそれなりの量の染料があったほうが染まるらしい
というかそもそも……
③「ダイロンプレミアムダイ」ではなく,「ダイロンマルチ」を使えばよかった!
プレミアムダイ(今回使用したもの)よりも,マルチの方が,化学繊維を染めるのに適しているらしい。
※その分,取り扱いがプレミアムダイよりも少し面倒になる。
と,まぁ反省点は諸々ありますが,それなりに染まったので今回は良しとします。衣料品・服飾品の色を変えたい!と思った方の参考になれば幸いです。
マウンティング・俺らーーマウンティングから脱出することはいかにして可能か
自分は「マウンティング」に興味がある。
「マウンティング」とは,おおまかに,相手よりも優位に立とうとする試みのことを指す。使い古された例で申し訳ないが,「あのバンド売れたんだ~へぇ~(自分は前から知っていたという含み)」などの発話行為がそれにあたる。
上記の例は,「サブカル・マウンティング」と呼ばれるそれに近い。サブカルチャーに関する知識の豊富さによってマウント・ポディションを確保しようとする営みだ。
ちなみに「マウンティング」とGoogleで検索すると,真っ先に出てくるのが「マウンティング女子」である。「女性は格付けを行う生き物で~」といったクソみたいなネット記事がたくさん出てきて吐き気をもよおす。「女子の世界はマウンティングだらけで恐いね~w(それに比べ男子の世界は平和だ)」みたいな含みが感じられて極めてファックオフだ。
ある時,急に思ったのだが,「女子の世界はマウンティングだらけで恐いね~w」という発話自体が,女性に対する(男性,あるいは名誉男性による)一種のマウンティングになっているのではないだろうか。こうした発話によって「野蛮なマウンティング女子/そうではない平和的な俺ら」という二項対立を構築し,前者(実は藁人形なのだが)を揶揄することによって,後者の「俺ら」が優位に立つ,といった効果がもたらされているのではないか。
冒頭で述べたが,自分は「マウンティング」に興味がある。念のため言っておくが,「マウンティング」をしたいわけではない(むしろ避けたい)。「マウンティング」という現象それ自体に興味があるだけだ。
しかし,先の「女子の世界はマウンティングだらけで恐いね~w」という「マウンティング」について考えだすと,最終的にその思考の矛先は自分へと向かう。自分は「マウンティング」に言及するという「マウンティング」を行っているのではないか。「マウンティングしてるね~」と語ることによって,マウンティングを行っている人たちよりも優位に立とうとしているのでないか……!
“マウンティングについて語ること”自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。
ーーいや,ここでは止まらない。
〈“マウンティングについて語ること”自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。〉と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。
ーーまだ,止まらない。
「〈“マウンティングについて語ること”自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。〉と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。」と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。
ーーまだ。
『「〈“マウンティングについて語ること”自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。〉と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。」と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。』と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。
〔『「〈“マウンティングについて語ること”自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。〉と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。」と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。』と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。〕と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。
【〔『「〈“マウンティングについて語ること”自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。〉と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。」と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。』と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。〕と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。】と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。
……………
………
……
…
我々はマウンティングから自由になることができるのだろうか。
ベジタブル・ライフを続けられない僕ら
最近、口内炎ができた。しかも2つだ。毎日、牛丼生活を送っていることによる当然の帰結だと言ってもいいだろう。さらに悪いことに、牛丼生活はその治癒を遅めている。
しかしながら野菜を(それも十分な量を!)積極的に摂取するにはコストがかかる。いつもの牛丼セットにサラダをつけるためには100円ちょいを余分に払わなければならなくなるし、100円ちょいを余分に払ったところでせいぜい少量のキャベツが得られるだけだ。
そうした状況を打破すべく、自分がとった行動は、野菜ジュースを飲む、というものだ。野菜ジュースはコストパフォーマンスがいい。値段は100円で、牛丼のサラダオプションとほぼ同価格なのにも関わらず、なんと野菜350g相当の栄養が摂取できるという。ちなみに自分が購買しているのはカゴメの「野菜一日これ一本」だ。手軽に購入できる野菜ジュースのなかでは、これが一番栄養価が高い(たぶん)。
さて、野菜ジュースを飲むことによってどのような効果が得られるだろうか。いつも行っている美容室のスタッフは「常飲していたら肌荒れが改善した」という。自分も最近、肌荒れが気になっていたので、そうした効果が得られるととてもありがたい。ついでに口内炎も治したい。そうした効果が本当にあるのか否かはもう少し続けてみなければわからないが、ここでは仮に「効果がある(=健康によい)」としておこう。
だとすれば、そうした習慣を続けることが課題となる。何かを続けることは難しい。はっきり言って、自分にはその自信がない。
その理由は、野菜ジュースの味......ではない。正直、思っていたよりも味は悪くないし、なんなら少し美味しいとすら感じている。では、なにが問題なのか。
例えば、スタバのコーヒーを飲むことが身体に良い効果をもたらすとして、それを毎日飲むことを習慣づけようと思えば、できると思う。なぜなら、端的に言って、スタバのカップを持って街を歩く様子はイカしてる(とされている)からだ。
毎日の健康のためにスタバの飲む自分。毎日の習慣なので、ときにはスタバのコーヒーカップを持ちながら街を歩くこともある。街を行き交う人々はそんな自分を見ながら「イカしてんなぁ〜」と内心思い、ツイッターにつぶやく。「今日、街でスタバのカップを持ったイカしたヤング・ボーイを見かけた!」
という想像をしながらほくそ笑む自分。これは続けられますわ。
しかしながら、野菜ジュースではそうもいかない。みんな野菜ジュースを持つ自分に何の関心も示さない。関心がない以上、認識にものぼらないだろう。アスファルトにこびりつくガムに気づかないのと同じように。
お手軽で身体に良いという事実だけでは続けられない。手軽で、身体に良くて、かつ、イカしてるという条件を満たしていなければ自分は野菜ジュースを飲み続けることができないのではないか。
では、「野菜ジュース=イカしてる」という枠組みが世に広まればいいのか!そうなれば野菜ジュース生活を続けることが可能になるのか!
今までの話の流れからは当然そうした帰結が導きだされるが、そうは問屋がおろさない。多分、自分は「野菜ジュース=イカしてる」という風潮になっても野菜ジュースを飲み続けることはできないような気がしている。
先のスタバの例に戻ろう。現時点において、スタバのカップを持って歩くことはイカしてるという風潮はある。しかし、自分はスタバのカップを持ちながら街を歩くことはしていない。なぜか。単純な理由だ。それは「スタバのカップを持つこと」が逆にダサいと感じてしまうからだ。スタバでMacBook開いてドヤ顔(笑)というふうに嘲笑する言説が一時期流行したが、それと同じ感性を自分も(悔しいけれど)共有してしまっている。要するに、「イケてる」と思ってやっていること(特にそれを気合い入れてやっていること)、こそがダサい、という逆張りのメンタリティを悲しきかな自分も身につけてしまったのだ。以前、とある男性ファッション誌で、大学生のモテるための小技特集的なやつが組まれていた。そこでモテ・テクニックとして例に挙げられていたのが、スタバのカップを持ちながら登校だった。自分はそれを見てダッッッサ!と正直思ってしまった。
多分、野菜ジュースがイケてる世の中になってもこうした逆張りのメンタリティは発揮され、野菜ジュースを素直に飲み続けることはできなくなってしまうのだろう。結局、野菜ジュースを飲み続けることはできないのだ。どうすればいいんだ......口内炎が痛い........