何かにまつわるエトセトラ

確かめにいこう

ねじれた季節の楽しみ方

もう2月も終盤に近づいたとはいえ、相変わらずの冬模様である。毎朝出勤前にコートとマフラーで着膨れした自分の姿を鏡で見ることにもうんざりしてきたところだ。まれに気温が10度を超える日でもあれば「今日は暖かいですね〜」とか言ってしまう。冷静になれ。全然寒いぞ。

 

そんな寒空に合う音楽というのは確実にあると思う。少し寂しさを感じさせる音楽はこの時期にマッチする。街中で見かけるヘッドホン・ボーイズ and ガールズの耳元にもきっと冬の音楽が流れているのだろう。

 

その一方で、あえて冬に夏の音楽を聴くという楽しみ方もある。冷たくなったiPhoneの画面に指紋を塗りたくりながら曲を選び、そう遠くない炎天下の情景を想像し、音楽に身をゆだねる。こうしたことを自分はまれにやってしまう。そして、そのたびに夏がとてつもなく素晴らしい季節だったような気にさせられる。

 

あ〜、少し暑い夜に公園でアイス食べてぇ〜。

あ〜、ざるそば食べて畳で寝っ転がりてぇ〜。

あ〜、車の窓を開けて夏の夜風を感じてぇ〜。

 

などなど。「サマージャム’95」の盛り上がりとともに夏に対する憧憬は高まるばかりである。なぜ今は冬なんだ!あの素晴らしい季節をもう一度!

 

だが、心の隅ではわかっている。実際に夏がやってくるとこうした思いは消えて無くなってしまうということに。むしろ夏になると逆のことを考えてしまうということに。

 

あ〜、寒空の下で温かいコーヒー飲みてぇ〜。

あ〜、冬用のコーディネートを楽しみてぇ〜。

あ〜、さみしい音楽聴いて切なくなりてぇ〜。

 

これは髪を切ると伸ばしたくなり、伸ばしていると切りたくなる心理と完全に同型である。夏は冬が恋しくなり、冬は夏が恋しくなる。身体がそこにないからこそ、その場所を美化して思い焦がれてしまう。

 

夏に夏を満喫することはできないし、冬に冬を満喫することはできない。むしろ夏を満喫できるのは冬で、冬を満喫できるのは夏なのではないか。というわけで冬だからこそ言おう。夏最高。いま最高に夏を楽しんでいる。

 

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