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人間とロボットの関係:SFショートムービーNostalgistの感想

とあるきっかけがあって以下の動画をみたのでその感想の記録。

20分弱のSFショートムービーです。面白かったので興味がある方はぜひ。 

 

youtu.be

 

 

 

作品の背景

*原作はダニエル・H・ウィルソンのの短編小説”The Nostalgist”。

 ・”The Nostalgist”の邦訳はない。

*ダニエル・H・ウィルソンは"Robopocalypse"の著者。

 ・邦題は『ロボポカリプス』(角川書店

 ・"Robopocalypse"はスピルバーグ監督が映像化するという話になっていたが,現在延期中。

*邦訳で読める彼の作品,「神モード」はケン・リュウ編『スタートボタンを押してください』に収録されている。

 

 

ストーリー

 古き良き雰囲気の邸宅でチェスをする少年*1と父親らしき人物。少年はチェスの駒をなぜ犠牲にするのかと父親に問い,父親は「大切な物を守るための大いなる犠牲だ」と答える。そこで唐突に父親の視界がブレる。どうやらメガネが壊れたらしい。新しいメガネを買うために外へ出かける父親。少年も外に出たがるが,父親に「外は危険だから」とたしなめられる。

 

 目的地へ向かう父親。メガネの調子は悪くなる一方。メガネの不調と連動して父親の視界に映る風景や人物が,ヴィクトリア朝のイメージから『ブレードランナー』のような退廃的なイメージへと変化していく。どうやら今まで映されてきたものは,メガネが生み出した仮想現実であり,実際の社会は荒れ果てたスラムとなっているということが視聴者にも明らかとなる。

 

 軍の品(おそらく裏のルートで仕入れている)を扱うショップに到着。店番の老人と父親の会話から,先のメガネ(Immersion System 没入装置とでも訳しましょうか)は,もともと軍の開発した代物であるということがほのめかされる。新たなメガネ(没入装置)を手に入れた父親。そのとき,憲兵が現れる。

 

 憲兵に叩きのめされる父親。そこに一人のロボットが登場する。「パパ」と呼ぶロボット。実は可愛らしい息子の姿も外の風景と同様に,メガネによって作り出された仮の姿であったことが判明する。このときの憲兵のセリフから,このロボット=息子は,制御システムが搭載されていない危険なものであるということが推察される。父親に危害を加える憲兵をボコボコにするロボット=息子*2。そのとき水溜りに移った自分の姿をみて,自分自身が人間ではないことに初めて気づく。

 

 父親が家に帰ると物陰に隠れているロボット=息子。「でておいで」「ごめんね」と言いながら抱きしめる父親。「すべて元どおりにしようね」。父親のそのセリフを聞きながら,ロボット=息子は先のチェスを見つめ,胸のリセットボタンを自ら押す。今までの記憶(父親との思い出,自分がロボットであるという事実)はすべて消え去り,もとの状態に戻る。そして涙を流す父親。【終】

 

 感想

 ちょっとした商業施設に行くと,ペッパーくんが子どもとおしゃべりをしているという光景をよく見かけるようになりました。今後,さらに性能を向上させたロボット(それこそ人間とほとんど変わらないようなロボット)が私たちのすぐ隣にいることが当たり前の世の中になっていくでしょう。さて,そのような社会になったとして,私たちとロボットの関係はどういうふうになるのでしょうか。私たちにとって,今よりもよりかけがえのない存在,人間とロボットという違いを乗り越え,心を通わせる存在となるのでしょうか。

 

 この問いかけに対して,”Nostalgist”は明確にノーを突きつけているのだと思います。メガネ(没入装置)をかけた状態であれば,父親と息子=ロボットは,いかにも本物の親子であるかのようになれます。子どもと一緒にボードゲームをし,子どもの絵を家に飾る。そんな「理想的な」状態は確かに可能です。しかし,それはあくまでもメガネというごまかしの装置,さらにロボットが本当に自分のことを人間だと勘違いしているというごまかしのうえに成りたつものなのです。

 

 そうした二重のごまかしが崩壊した後の父親は,ロボットと心を通わせることができなくなってしまいます。終盤のシーンで父親が息子=ロボットに言うセリフは,「ロボットだろうが構わない」,「それでも親子なんだ」といったものではなく,「元の状態に戻してやる」といったものでした。さらに息子=ロボットが最後に父親のメガネを外し,「愛しているよ,パパ」とまさに親子のような言葉を絞りだしたときも,父親の目は閉じられたままでした。ロボットと人間の距離感をまざまざと見せつけられる残酷なシーンだと思います。また,ロボットを見た子どもたちが一目散に逃げだすという中盤のシーンも,この残酷さを補強しています。無垢な存在である子どもたちにとっても,ロボットは到底受け入れることのできない異物なのです。

 

 人間に受け入れられないロボットはどのような行動を起こすのでしょうか。それはまるでチェスにおける駒のような「大いなる犠牲」となる道を選ぶのです。そしてロボット=息子は「自ら」リセットボタン押し,nostalgist(過去に囚われた人)である父親の世界観を守ってあげます。いくら人間と近しい存在になろうとも,ロボットはrobotnik(ロボットの語源,チェコ語で「強制労働者」を意味する)であり,あくまでも人間に使われる(=都合の良い)存在なのです。そこには決して超えることのできない距離感,もっと露骨な言い方をすれば上下関係が横たわっており,ロボットたちはそのことに対して不満を持つこともなく,粛々と「大いなる犠牲」となっていくのです。

 

 そうした意味において”Nostalgist”は,自分にとって都合の悪いできごとを受け入れることのできないnostalgistたちの弱さとそれを献身的に守ってくれるロボットという,人間たちにとってみれば理想的であるが,どこか残酷な未来を描いたものだといえるかもしれません。

*1:サミュエル・ジョスリン。映画『パディントン 』の少年役ですね。

*2:このロボットがなぜ父親の手元にあるのかは謎。軍の開発した物を盗んだのか,それとも自分で開発したのか。