表裏一体
裏表紙って表現気持ち悪くないですか。
いや、わかってるんですよ。「裏表–紙」ではないことくらい。もし「裏表–紙」だったら話は早い。端的にいって表現の矛盾であり、それは正すべきものである。例えるなら「このコーンポタージュは熱くて冷たい」みたいなもので、ただただ混乱をもたらす表現であるがゆえに、訂正が要請される。「は?どっち?」と問い詰められても何も文句は言えまい。
しかし実際のところ裏表紙はそのような矛盾を孕んだ表現ではない。それは「裏–表紙」であり、そこには矛盾は(少なくとも表面上は)存在しない。「裏表紙」という言葉の「表紙」の部分は、相対的な位置取りとしての「表紙」(裏の裏としての表)という意味は脱色され、しっかりと足場を持ったものとして立ち現れている。なので「裏表紙って矛盾した表現だよね〜」というのは野暮である。「新古今和歌集って古いの?新しいの?」的愚問である。
そうした言葉の事情はじゅうぶんに加味したうえで、「裏表紙」って表現気持ち悪くないですか。
「裏–表紙」と「裏表–紙」のはざまで頭がグルグルしませんか。
日曜日に「来週の水曜日ね」と言ってしまったときのような危うさありませんか(日曜日を週の始まりとみなすかどうか問題)。
ありませんか。そうですか。
よい週末を。