冷凍都市に住む妄想人類諸君に告ぐ
東京に住み始めて3年。いろんなことがあって毎日楽しいし,われわれは酔っぱらっていないのだが,あえて嫌な気持ちになってことを書いておこうと思う。
とある都内の学校の面接にて以下のような質問をされた。
面接官「本校の生徒たちのほとんどは東京出身です。履歴書を見る限り,〇〇(自分の名前)さんは沖縄出身のようですが,地方出身であることを活かした授業が求められた場合,どのような授業をしますか?」
また別のタイミング(授業中)では以下のようなやり取りがあった。
生徒「先生は米軍基地についてどう思ってるの?」
自分「いや~今は話したくないな」
生徒「いいじゃん話してよ」
なぜ地方出身であることを活かさねばならんのだ。
なぜ出身地のことを東京の子たちに対して切り売りせねばならんのだ。
地元のことを話したくない,というわけでは決してない。むしろ積極的に話すときの方が多いし,日常的なおしゃべりのなかではそういうことをあまり気にしない。(「この話題はパスで」と言える選択肢が保証されているから)。話すことが避けられない,という状況において話すことを強要される場面がとても嫌なのだ。
加えて重要なのは,そのような場面に東京出身の面接官や生徒らは遭遇しないということだ。彼/彼女らは東京出身であることを活かした授業を求められたり,米軍基地に対する意見の表明を求められたりするのだろうか。
こうした場面に遭遇するたびに「都会出身であるわれわれを楽しませろ」という言外のメッセージを受け取ってしまい,複雑な心境になってしまう。
要するにいつまでたっても「問われる側」なのだ。上京してからというもの,以前と異なり地元アイデンティティというものを意識することが増えたように思える。それはさまざまな場面において問われまくるという経験が一つの要因となっているのだろう。
そのことについてすごく悩んでいるわけでもないが,一応書き記しておこうと思う。これこそが冷凍都市のKU・RA・SHI。