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危なくない日記

サブカルチャーと社会学の交差地点

マウンティング・俺らーーマウンティングから脱出することはいかにして可能か

自分は「マウンティング」に興味がある。

「マウンティング」とは,おおまかに,相手よりも優位に立とうとする試みのことを指す。使い古された例で申し訳ないが,「あのバンド売れたんだ~へぇ~(自分は前から知っていたという含み)」などの発話行為がそれにあたる。

上記の例は,「サブカル・マウンティング」と呼ばれるそれに近い。サブカルチャーに関する知識の豊富さによってマウント・ポディションを確保しようとする営みだ。

 

ちなみに「マウンティング」とGoogleで検索すると,真っ先に出てくるのが「マウンティング女子」である。「女性は格付けを行う生き物で~」といったクソみたいなネット記事がたくさん出てきて吐き気をもよおす。「女子の世界はマウンティングだらけで恐いね~w(それに比べ男子の世界は平和だ)」みたいな含みが感じられて極めてファックオフだ。

 

ある時,急に思ったのだが,「女子の世界はマウンティングだらけで恐いね~w」という発話自体が,女性に対する(男性,あるいは名誉男性による)一種のマウンティングになっているのではないだろうか。こうした発話によって「野蛮なマウンティング女子/そうではない平和的な俺ら」という二項対立を構築し,前者(実は藁人形なのだが)を揶揄することによって,後者の「俺ら」が優位に立つ,といった効果がもたらされているのではないか。

 

冒頭で述べたが,自分は「マウンティング」に興味がある。念のため言っておくが,「マウンティング」をしたいわけではない(むしろ避けたい)。「マウンティング」という現象それ自体に興味があるだけだ。

 

しかし,先の「女子の世界はマウンティングだらけで恐いね~w」という「マウンティング」について考えだすと,最終的にその思考の矛先は自分へと向かう。自分は「マウンティング」に言及するという「マウンティング」を行っているのではないか。「マウンティングしてるね~」と語ることによって,マウンティングを行っている人たちよりも優位に立とうとしているのでないか……!

 

“マウンティングについて語ること”自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。

 

ーーいや,ここでは止まらない。

 

〈“マウンティングについて語ること”自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。〉と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。

 

ーーまだ,止まらない。

 

「〈“マウンティングについて語ること”自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。〉と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。」と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。

 

ーーまだ。

 

『「〈“マウンティングについて語ること”自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。〉と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。」と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。』と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。

 

〔『「〈“マウンティングについて語ること”自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。〉と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。」と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。』と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。〕と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。

 

【〔『「〈“マウンティングについて語ること”自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。〉と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。」と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。』と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。〕と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。】と語ること自体がマウンティングになりうるのではないかと思い始めた。

 

……………

………

……

 

我々はマウンティングから自由になることができるのだろうか。