読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

危なくない日記

サブカルチャーと社会学の交差地点

ベジタブル・ライフを続けられない僕ら

最近、口内炎ができた。しかも2つだ。毎日、牛丼生活を送っていることによる当然の帰結だと言ってもいいだろう。さらに悪いことに、牛丼生活はその治癒を遅めている。

 

しかしながら野菜を(それも十分な量を!)積極的に摂取するにはコストがかかる。いつもの牛丼セットにサラダをつけるためには100円ちょいを余分に払わなければならなくなるし、100円ちょいを余分に払ったところでせいぜい少量のキャベツが得られるだけだ。

 

そうした状況を打破すべく、自分がとった行動は、野菜ジュースを飲む、というものだ。野菜ジュースはコストパフォーマンスがいい。値段は100円で、牛丼のサラダオプションとほぼ同価格なのにも関わらず、なんと野菜350g相当の栄養が摂取できるという。ちなみに自分が購買しているのはカゴメの「野菜一日これ一本」だ。手軽に購入できる野菜ジュースのなかでは、これが一番栄養価が高い(たぶん)。

 

f:id:yune_suko:20170128112507j:image

 

さて、野菜ジュースを飲むことによってどのような効果が得られるだろうか。いつも行っている美容室のスタッフは「常飲していたら肌荒れが改善した」という。自分も最近、肌荒れが気になっていたので、そうした効果が得られるととてもありがたい。ついでに口内炎も治したい。そうした効果が本当にあるのか否かはもう少し続けてみなければわからないが、ここでは仮に「効果がある(=健康によい)」としておこう。

 

だとすれば、そうした習慣を続けることが課題となる。何かを続けることは難しい。はっきり言って、自分にはその自信がない。

 

その理由は、野菜ジュースの味......ではない。正直、思っていたよりも味は悪くないし、なんなら少し美味しいとすら感じている。では、なにが問題なのか。

 

例えば、スタバのコーヒーを飲むことが身体に良い効果をもたらすとして、それを毎日飲むことを習慣づけようと思えば、できると思う。なぜなら、端的に言って、スタバのカップを持って街を歩く様子はイカしてる(とされている)からだ。

 

毎日の健康のためにスタバの飲む自分。毎日の習慣なので、ときにはスタバのコーヒーカップを持ちながら街を歩くこともある。街を行き交う人々はそんな自分を見ながら「イカしてんなぁ〜」と内心思い、ツイッターにつぶやく。「今日、街でスタバのカップを持ったイカしたヤング・ボーイを見かけた!」

 

という想像をしながらほくそ笑む自分。これは続けられますわ。

 

しかしながら、野菜ジュースではそうもいかない。みんな野菜ジュースを持つ自分に何の関心も示さない。関心がない以上、認識にものぼらないだろう。アスファルトにこびりつくガムに気づかないのと同じように。

 

お手軽で身体に良いという事実だけでは続けられない。手軽で、身体に良くて、かつ、イカしてるという条件を満たしていなければ自分は野菜ジュースを飲み続けることができないのではないか。

 

では、「野菜ジュース=イカしてる」という枠組みが世に広まればいいのか!そうなれば野菜ジュース生活を続けることが可能になるのか!

 

今までの話の流れからは当然そうした帰結が導きだされるが、そうは問屋がおろさない。多分、自分は「野菜ジュース=イカしてる」という風潮になっても野菜ジュースを飲み続けることはできないような気がしている。

 

先のスタバの例に戻ろう。現時点において、スタバのカップを持って歩くことはイカしてるという風潮はある。しかし、自分はスタバのカップを持ちながら街を歩くことはしていない。なぜか。単純な理由だ。それは「スタバのカップを持つこと」が逆にダサいと感じてしまうからだ。スタバでMacBook開いてドヤ顔(笑)というふうに嘲笑する言説が一時期流行したが、それと同じ感性を自分も(悔しいけれど)共有してしまっている。要するに、「イケてる」と思ってやっていること(特にそれを気合い入れてやっていること)、こそがダサい、という逆張りのメンタリティを悲しきかな自分も身につけてしまったのだ。以前、とある男性ファッション誌で、大学生のモテるための小技特集的なやつが組まれていた。そこでモテ・テクニックとして例に挙げられていたのが、スタバのカップを持ちながら登校だった。自分はそれを見てダッッッサ!と正直思ってしまった。

 

多分、野菜ジュースがイケてる世の中になってもこうした逆張りのメンタリティは発揮され、野菜ジュースを素直に飲み続けることはできなくなってしまうのだろう。結局、野菜ジュースを飲み続けることはできないのだ。どうすればいいんだ......口内炎が痛い........