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危なくない日記

サブカルチャーと社会学の交差地点

「学校の内側」からの抵抗――思い出の解釈

ブログを初めてから数か月が経つ。更新はしばらく止まったままだった。その理由は至ってシンプルで「面倒だった」から。あ,あのテーマについて記事を書こう,と思っても毎回資料を集める段階で匙を投げてしまう。しかしながら,アクセス解析を覗いてみると,意外なことにこんな更新頻度(と志)が低すぎるブログでも毎日数十件のアクセスがあるようなのだ。ウェブ上に広がる無数のブログたちを見ることを常としている人たちが現在の日本にどの程度いるのか想像すらつかないが,それはかなりの人数になるだろうし,その「かなりの人数」に対して,このブログを見てくれているあなたという存在は砂漠のなかの一粒の砂くらい微細なものかもしれないが,数十粒でも集まれば小さな砂山を作ることはできるし,それはそれでとてもありがたいことなのだ。そうして出来上がる小さな砂山は風が吹けばサラサラと崩れてしまうようなものだが,砂山を構成する砂粒たちのため(と言ったら偉そうだがご愛敬)にも,たまにはブログを更新してみようと思った次第だ。(以上、長い言い訳でした)

 

さて,更新しようと意気込んでみたものの,テーマが見当たらない。いや,実を言うとテーマはあるのだ。例えば「新宿東口の歴史」とか「教育の中立性」とか「スキンズとゲイ・カルチャー」とか。しかしながら上記のテーマで記事を書こうと思っても気力が追い付かないし,なによりデータや文献を整理することが極めて億劫だ。

 

では,気力ゼロマンの自分は「いま-ここ」で何が書けるのか。データや文献を使用する記事が面倒ならば,それらを一切用いずに自分の過去の出来事について記述することはどうだろうか。その方向性で悪くない気がしたので,加湿器がせわしなく働きつづける音に気を取られながらも過去の出来事について思い出してみた。何もとっかかりがない状況で過去のエピソードを想起するのは,掴むための石がないボルダリングに挑戦するようでとても難しい作業だったが,幸い,加湿器がお休みに入ったタイミングでexcitingではないがinterestingな出来事をひとつだけ思い出すことができたので,今回はそのことについて書こうと思う。

 

話は自分の高校時代にさかのぼる。

 

 

高校時代,自分は軽音楽部に所属していた。うちの軽音楽部にはありがたいことに部室が用意されていて,それは体育館の片隅にあった。ちなみに部室は2階にあり,その上の3階には開かずの部屋があった。その開かずの部屋には鍵が掛かっており,生徒たちがなかに入れないようになっていた。そのなかはどうなっているのか,そもそも入った人はいるのか。ずっと気になってはいたがその答えは分からぬままだった。

 

ところが,唐突にその謎は解消されることとなる。

 

ある日,なんとなく退屈だったのでひとりで体育館をブラブラし,なんとなくその開かずの部屋の前まで行き,なんとなくドアノブに手をかけると,なんとドアノブが回ったのだ。もしかしたら先生が鍵を閉め忘れたのかもしれない。ドキドキしながら重たい扉を開けるとそこは単なる物置部屋で,使わなくなったソファーやテーブル,謎の機材などがたくさん積まれており,とても埃っぽかった。しかし,そうしたゴミの山は自分の目には宝の山として映った。これは……!

 

翌日からその開いてしまった「開かずの部屋」を掃除する作業を一人で始めた。大きな机を真ん中に配置し,椅子を並べ,余計な物は隅へ移動させ,雑巾でふきあげる。結構な重労働だったがちっとも苦ではなかった。するとなんということでしょう。今までただの物置部屋だった部屋がくつろげるスペースに。しかも,学校側はそのことをまったく知らない。自分で作り上げたその特別な場所にかなりの満足感を覚えた。さっそくNIRVANAのポスターを貼り,ロッキングオンジャパンのバックナンバーを置いた。そして自分と親しい軽音楽部周辺の人たちにこの部屋の存在をこっそりと教えた。

 

翌日からこの部屋はいろんな人たちが使うようになる。例えば,カップルのデートスポットとして,麻雀の場として,なんとなくのおしゃべりの場として。自分が把握しているのはこのくらいだが,実際にはもっと色んな使われ方がなされていたのかもしれない。自分は行きたくない授業のときにサボって寝る場所として使ったりしていた。学校のなかにこのような空間があるのは自分にとって,とても嬉しいことだった。

 

しかし,そんな快適な「開かずの部屋」ライフも唐突に終わりを迎える。終わり方は至ってシンプルでありきたりだが,先生にばれてしまったのだ。部屋を作った張本人として自分は先生に謝罪し,この件は終了。元「開かずの部屋」は再び「開かずの部屋」となることになった。それ以降,卒業するまでその部屋に入ることは一度もなかったーーーー

 

ーーーーさて,ここまでが具体的なエピソードだが,ただ単に記述するだけではやはり面白みが欠けるので,これからこのエピソードを現在の自分の立場から解釈してみる。過去の思い出を好きなタイミングで現在の立場から解釈することは当事者の認められた特権なのだ。

 

あの時の自分は,「開かずの部屋」を改装し,領有することによって何を達成しようとしていたのか。端的に言ってそれは「学校の内側」に穴をあけることによって,学校に対して(些細なものだが)抵抗をしていたのではないかと思う。

 

「学校」という空間は生徒たちにとって息苦しい。どの場所にも「教育的なまなざし」が張り巡らされ,〇〇のための場所,といった風に「正しい用途」が決められている。例えば,勉強するための教室,運動するための体育館,本を読むための図書室などなど。何となく居ていい場所や教育的な営為から離れた場所というのは基本的に存在しない。その例外となるのが学園物にありがちな「屋上」である。屋上は何かのために存在していない。屋上で勉強する必要はないし運動をする必要もない。屋上はただそこに居ることが唯一認められた場所であり,だからこそ屋上は生徒同士のドラマが生まれる場所として優秀なのだ。

 

しかし,自分の通う学校には「屋上」が存在しなかった。「学校」は隅から隅まで「何らかの(特に教育的な)意図」によって張り巡らされていた。そうした意図から身を隠すための場所となったのが自分にとっては「開かずの部屋」であり,言うなれば「開かずの部屋」は「屋上」だったのだ。

 

解釈のポイントとなるのがそれが「学校の内側」で行われた,という点だ。学校の息苦しさからの逃避を志向するならば,もっとも容易な手段は「学校の外側」に出るというものがある。例えば,放課後に外で遊んだり,何らかの外部の集団に所属したりと,さまざまな方法で「学校の外側」に出ることは可能だ。こうした手段を選ばず(あるいは選んだ一方で),「学校の内側」でなんとかしようとするというのはある種,学校への抵抗といった側面を匂わせる。

 

だからこそ「開かずの部屋」の存在が教員にばれた際に自分は叱責されたのだ。よくよく考えてみると,自分は学校の部屋に居ただけであり,そのことに関して説教される言われはない。校則で「この部屋には入ってはいけません」と決められていたわけでもない。しかし,教師たちの目(≒学校的まなざし)を掻い潜ることは,やはりどこか「反抗」ないし「抵抗」的なのだ。自分もそのことをどこか自覚していたように思える。

 

自分のこの些細な「抵抗」は結局のところ失敗してしまったのだが,このような営みは全国の様々な学校で生徒たちによって行われているのだろう。自分はそれらをどんどん応援していきたいと思う。いつかどの学校にも「開かずの部屋」が作られる日が来るまで。